名鉄の歩いて巡拝 知多四国 ”第5回 徳川家康の生母・於大の方ゆかりの洞雲院を巡る”に参加して参りました。
2009.06.20 Saturday | category:旅日記
JUGEMテーマ:日記・一般
<旅日記>春の名鉄電車沿線ハイキングも6月14日をもって終わってしまい、寂しい限りです。名鉄は今年は、夏の電車沿線ハイキングはやらないようなので、9月まで待たねばなりません。
で、さわやかウォーキングか、近鉄ハイキングでもと思ったのですが、今日は月に1度の歩いて巡拝(まいる)知多四国の開催日だったので、そちらの第5回コース”徳川家康の生母・於大の方ゆかりの洞雲院を巡る”に参加しました。
昨年の春のさわやかウォーキングで、於大の方の生まれ故郷に行き、彼女の生涯を知るとともに、親孝行な家康の一面を知ることができました。それに、曲も最高によかったです。今日は、於大の方のお墓がある洞雲院 aka 知多四国15番札所がコースに入っていたので、是非、行かねばと思った次第です。昨年の日記を先に読んでからでないと、今日の日記は理解しにくいと思いますので、以前、読んだ方ももう一度お読みくださいね。
神宮前駅を8:18に発車した河和行き特急電車は、常滑線を南下し太田川駅に停車後、河和線に入り、知多半島をさらに南下し、阿久比駅には8:36に到着しました。
<阿久比駅です>阿久比(あぐい)駅は、愛知県知多郡阿久比町大字阿久比にある名古屋鉄道河和線の駅で、島式ホーム2面4線、8両対応のホームがあります。ホームは阿久比川の支流を跨ぐ橋梁から続く築堤上にあり、改札口とはトンネル通路で繋がっています。
そんなわけで、ホームからトンネル通路を抜け、自動改札を抜けましたが、改札口では混み合うとの判断なのか、ずっと離れたところで、ウォーキングマップを受け取ります。
それでは、今日は、3度目の来日を記念し、風雲たけし城が大好きだったというポッツ君のこの歌を聴きながら巡拝しましょ。
まずは、駅から北北東の方角に約3kmはなれた知多四国13番札所の板嶺山安楽寺に向かいます。田植えの済んだ田舎道を心地よい風に吹かれながらのウォーキングは快適です。
<安楽寺への途中です>
安楽寺には、観音堂には9年に一度開帳される秘仏「聖観世音菩薩(行基菩薩作)」が、地蔵堂には穴のあいた柄杓を供え祈ると耳が聞こえるようになるという「天白地蔵菩薩」が安置されています。
<安楽寺弘法堂です>
参拝後は、14番札所の圓通山興昌寺に向ます。寺の前を流れる福山川沿いに500mほど歩けば到着です。
興昌寺の山門前に知多四国霊場開山の1人、岡戸半蔵の木像を祀った行者堂があります。
<興昌寺行者堂です>
興昌寺を参拝した後は、いよいよ15番札所龍渓山洞雲院に向かいます。
於大の方は、1547年、兄信元の意向で知多郡阿古居城(阿久比町)の城主・久松俊勝に再嫁し、俊勝との間には三男三女をもうけました。
<洞雲院門前です>
桶狭間の戦いの後、今川家から自立し織田家と同盟した家康は、久松俊勝と於大の三人の息子に松平姓を与えて家臣としました。
<洞雲院山門です>
関ヶ原の戦いの後の1602年には、秀吉未亡人・北政所(おね・ねね)や後陽成天皇に拝謁、豊国神社に詣でて徳川家が豊臣家に敵意がないことを示し、同年、家康の滞在する京都伏見城で死去しました。
<洞雲院本堂です>
家康は母の遺骸を遺言通りに江戸へ運び、大塚町の智香寺(智光寺)で火葬しました。
<愛別離苦やね>
中学三年の道徳?ホームルーム?の時間に、四苦八苦の本来の意味を体育の教師で担任だった加藤先生が教えてくれた。
位牌は夫が眠る安楽寺(愛知県蒲郡市)に置かれ、光岳寺(千葉県関宿町→野田市)など各地に菩提寺を建立しました。
<於大の方です>
そして、彼女の遺髪は,久松家の菩提寺である洞雲院の遺髪墓に納められました。
<於大の方の遺髪墓です>
洞雲院に参拝した後は、2.2kmほど南にある17番札所樫木山観音寺に向かいます。
<観音寺です>
本尊の「十一面観世音菩薩」は、江戸時代中期の元禄2年(1689)の作で、50年に一度しか開帳されない秘仏です。前回の開帳が1999年なので、小生はもう秘仏を生きて拝むことはできません。
次は、東に0.5kmはなれた16札所鳳凰山平泉寺に向かいます。
<平泉寺弘法堂です>
平泉寺には、1190年(文治6年)には源頼朝が父義朝の墓参の際に立ち寄り,国家安寧を祈願したという記録や,1274年(文永11)の元寇の際には後宇多天皇が本尊不動尊に異国降伏の祈願を行ったという記録があります。
<仏説摩訶般若波羅蜜多心経>
本日、最後の般若心経を唱えてから、ゴールの阿久比駅に向かいました。
<ゴールです>
ゴールの阿久比駅には、11:10に到着しました。
より大きな画像で紹介したかった写真があったんですが、じゃらんnetのおでかけガイドが、生憎、リニューアルのため休止中で投稿ができない状態です。再開したら載せておこうと思います。
11:17発の名古屋行き特急電車で帰りました。
より大きな地図で 阿久比 を表示
以上
<安楽寺への途中です>安楽寺には、観音堂には9年に一度開帳される秘仏「聖観世音菩薩(行基菩薩作)」が、地蔵堂には穴のあいた柄杓を供え祈ると耳が聞こえるようになるという「天白地蔵菩薩」が安置されています。
<安楽寺弘法堂です>参拝後は、14番札所の圓通山興昌寺に向ます。寺の前を流れる福山川沿いに500mほど歩けば到着です。
興昌寺の山門前に知多四国霊場開山の1人、岡戸半蔵の木像を祀った行者堂があります。
<興昌寺行者堂です>興昌寺を参拝した後は、いよいよ15番札所龍渓山洞雲院に向かいます。
於大の方は、1547年、兄信元の意向で知多郡阿古居城(阿久比町)の城主・久松俊勝に再嫁し、俊勝との間には三男三女をもうけました。
<洞雲院門前です>桶狭間の戦いの後、今川家から自立し織田家と同盟した家康は、久松俊勝と於大の三人の息子に松平姓を与えて家臣としました。
<洞雲院山門です>関ヶ原の戦いの後の1602年には、秀吉未亡人・北政所(おね・ねね)や後陽成天皇に拝謁、豊国神社に詣でて徳川家が豊臣家に敵意がないことを示し、同年、家康の滞在する京都伏見城で死去しました。
<洞雲院本堂です>家康は母の遺骸を遺言通りに江戸へ運び、大塚町の智香寺(智光寺)で火葬しました。
<愛別離苦やね>中学三年の道徳?ホームルーム?の時間に、四苦八苦の本来の意味を体育の教師で担任だった加藤先生が教えてくれた。
位牌は夫が眠る安楽寺(愛知県蒲郡市)に置かれ、光岳寺(千葉県関宿町→野田市)など各地に菩提寺を建立しました。
<於大の方です>そして、彼女の遺髪は,久松家の菩提寺である洞雲院の遺髪墓に納められました。
<於大の方の遺髪墓です>洞雲院に参拝した後は、2.2kmほど南にある17番札所樫木山観音寺に向かいます。
<観音寺です>本尊の「十一面観世音菩薩」は、江戸時代中期の元禄2年(1689)の作で、50年に一度しか開帳されない秘仏です。前回の開帳が1999年なので、小生はもう秘仏を生きて拝むことはできません。
次は、東に0.5kmはなれた16札所鳳凰山平泉寺に向かいます。
<平泉寺弘法堂です>平泉寺には、1190年(文治6年)には源頼朝が父義朝の墓参の際に立ち寄り,国家安寧を祈願したという記録や,1274年(文永11)の元寇の際には後宇多天皇が本尊不動尊に異国降伏の祈願を行ったという記録があります。
<仏説摩訶般若波羅蜜多心経>本日、最後の般若心経を唱えてから、ゴールの阿久比駅に向かいました。
<ゴールです>ゴールの阿久比駅には、11:10に到着しました。
より大きな画像で紹介したかった写真があったんですが、じゃらんnetのおでかけガイドが、生憎、リニューアルのため休止中で投稿ができない状態です。再開したら載せておこうと思います。
11:17発の名古屋行き特急電車で帰りました。
より大きな地図で 阿久比 を表示
以上





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