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- 2022.07.06 Wednesday
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当時は、南都七大寺の一つとして、その大伽藍はわが国随一の壮美を誇りましたが、平城京の薬師寺は天禄4年(973)の火災と享禄元年(1528)の筒井順興の兵火で多くの建物を失いました。
20世紀半ばまで、江戸時代末期仮再建の金堂、講堂がわびしく建ち、創建当時の華麗な伽藍をしのばせるものは焼け残った東塔だけでした。1960年代以降、名物管長として知られた高田好胤が中心となって写経勧進による白鳳伽藍復興事業が進められ、1976年に金堂が再建されたのをはじめ、西塔、中門、回廊の一部、大講堂などが次々と再建された。
<東塔と金堂です>
なお、藤原京の薬師寺址については、今年訪れ、旅日記(2009.5.4)に書きましたので、そちらを参照ください。
<薬師如来像です>
金堂に安置されている国宝の銅造薬師三尊像は、奈良時代の作。中尊は薬師如来、脇侍に日光菩薩と月光菩薩を配しています。中尊像の堂々たる像容、脇侍像の自然な身のこなし、各像のプロポーションなど、日本の仏教彫刻が中国・六朝や唐の影響を受けつつ、独自の古典様式を完成したといえます。奈良時代の作品のなかの最高傑作の1つです。
金堂の中でのカメラ撮影が禁止されているので、外から撮影しています。白く光る横棒は竹竿だったと思います。何に驚いたって、その大きさですよね。愛知県内の小さい寺や小さい仏像を見慣れている者にとっては、仏像や寺の建物自体の大きさに圧倒されてしまいます。
薬師如来のまたの名を医王如来ともいい、医薬兼備の仏様です。人間にとって死という一番恐ろしいものを招くのが病気です。体が動かなくなるのも病気なら、身の不幸、心の病も病気です。欲が深くて、不正直で、疑い深くて、腹が立ち、不平不満の愚痴ばかり、これ皆病気です。応病与薬の法薬で、苦を抜き楽を与えて下さる抜苦与楽の仏様。だから人々に仰がれ、親しまれ、頼られていらっしゃるのです。
極楽は西にもあれば東にも
来た(北)道さがせ
皆身(南)にぞある西に阿弥陀様の極楽世界、東にお薬師様の浄瑠璃世界があります。けれども薬師如来は東方浄瑠璃世界だけが願うべき世界ではなく、西方極楽世界へ往生したいと願う人には、薬師の名号を聞くことによって極楽世界へ導いてあげますよとおっしゃっています。その人その人にふさわしい浄土を願わし引導して下さいます。
そんなありがたい仏様に事前にお参りしたわけですから、8月7日のさわやか出張はうまくいかないはずはなく、大成功を収めることができました。
以上
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