名鉄の歩いて巡拝 知多四国 ”第8回 みそ・たまり蔵のまちなみ・武豊町を歩く”に参加して参りました。

  • 2009.10.17 Saturday
  • 21:46
JUGEMテーマ:日記・一般
<旅日記>
 今日、10月17日は、浜松基地の航空祭でありまして、米空軍アクロバットチームThunderbirds(サンダーバーズ)のフライトが予定されています。でも、天候が悪かったりすると、突然、中止になることがよくあるそうです。小生、米空軍の威信がかかっていますから、ブルーインパルスを越える曲芸飛行が見られるのではないかと期待するのです。
 でもですね、先週、岐阜基地の航空祭に行ったばかりなので、もう少し間隔をおいて開催していただけると嬉しいです。
 小雨もありそうだし、いろいろ迷ったんですが、今日は月に1度の知多四国歩いて巡拝”みそ・たまり蔵のまちなみ・武豊町を歩く”に出かけることにしました。

 で、いつもと同様、名鉄の神宮前駅から、河和行一部特別車特急の一般車に乗車しました。車内は巡拝者とわかる乗客で既にいっぱいでしたが、ドア近くに座っていた降車客と入れ替わりに、なんとか座ることができました。神宮前駅を7:48に発車し、常滑線を南下、太田川に停車後、河和線に入り、阿久比、知多半田、青山に停車した後、知多武豊駅には8:16に到着しました。
<知多武豊駅です>
 知多武豊駅(ちたたけとよえき)は、愛知県知多郡武豊町道崎にある名鉄河和線の駅です。JR東海の武豊駅には何度か仕事で乗降したことがあるのですが、名鉄の知多武豊駅を利用するのははじめてです。
 知多武豊駅は、2面2線の相対式ホームの地上駅です。ホームに降りた後、跨線橋で名古屋方面ホームに渡り、改札口を出ます。改札から少し、歩いたところで今日のウォーキングマップを受け取ります。
 それでは、今日はこの曲を聴きながら、巡拝しましょ。

 まずは、駅から1.8kmのところにある大日寺に向かいます。
 御嶽山大日寺(みたけさん だいにちじ)は、知多四国八十八ヵ所巡礼22番札所です。<大日寺山門前です>
 ご本尊は、天平年間に創建された当時七堂伽藍三百坊の僧堂を有した知多尾州第一の巨刹といわれた御嶽山光照院に奉安されていた大日如来様です。伝承では、天文年間(1532〜55)の戦乱で堂宇が炎上するなか、一人の武士によって救い出され、難を逃れるために大日池に埋められました。約百年後に、長尾村領主 大嶋氏自ら奉行する池の灌漑工事中に仏像を発見、当時、観音堂であった当所に安置しました。
<大日寺境内にて>
 大日寺で、家族揃って、般若心経を唱えた後、0.6km離れた23札所意竜山蓮花院に向かいます。
<名鉄さん、お陰さまです>
 蓮花院は、永禄3年(1560)桶狭間の戦で、半田市の常楽寺へ逃げ込んだ松平元康(後の徳川家康)の馬前を払った因縁により、意龍山の号を賜ったそうです。
<蓮花院の弘法堂です>
 当寺は、試験合格、安産、身体、心願等にご利益がある「張子大師」も有名です。納札に描かれている人体図に自分の痛い所、悪い所を記し、張子大師に貼ると、大師像が身代わりとなっていただけるそうです。
 ユニークな造りの蓮花院の次は、1.8km先にある24番札所慶亀山徳正寺(けいきざん とくしょうじ)に向かいます。
<徳正寺の弘法堂です>
 源義朝を殺害した長田忠致の末裔にあたる徳正道慶居士(永正16年没)が、寒村のこの地に祖先の罪の償いと供養のために小庵を結んだといいます。その後、子安地蔵尊を祀り、地蔵堂と称せられた堂于を建立し、徳正寺と改めました。
 ”南無大師遍照金剛”と3回唱えて、途中、味噌・たまり蔵街を抜けて、25番札所法輪山円観寺に向かいます。
<南蔵商店です>
 武豊町は古くからみそやたまりをつくる醸造業が盛んなまちで、この大足・里中地区を中心として、かつては町全体に50軒もの醸造元がありました。現在は、5軒の醸造蔵が伝統的なみそやたまりをつくり続けており、昔ながらの町並みも受け継がれています。
<安住アナ、お待ちしています!>
 南蔵商店のみそ蔵を覗き、即売所でたまり醤油”なじみ”を購入して、円観寺に向かいます。
<円観寺の弘法堂です>
 白山城跡に堂宇を構える当寺は、樹齢500年を超える山茶花の大木があります。弘法堂の横では、マスクをしたお姉さんが飴を参拝者にふるまっていました。マスクをしているんですが、小生には、すごい美人であることが直感で分かります。写真はこちら
 美人のお姉さんを拝んだ後は、2.2km先の番外の達摩山葦航寺に向かいます。
<今にも泣き出しそうな空です>
 葦航寺には、知多四国開山者の一人武田安兵衛行者の遺品が保存されています。
 安兵衛行者は四国讃岐に生まれ、21歳の時、養父が病死.33歳の時に故郷を離れて諸国を遍歴します。翌年に知多半島の各寺を巡り、3年後に再び巡拝し、南知多大井の医王寺に止住しました。
ときに本四国で出会っていた亮山和尚と再会し、霊場創設に向けて東奔西走しました。
<葦航寺弘法堂内です>
 葦航寺の境内は、木魚をたたく音が響いていました。
 葦航寺を出ると露店が数軒出ていました。そのなかには、いつもの落花生おばさんが、今日はトラックから降りて、落花生などを売っていました。
<葦航寺を出たところです>
 最後の巡拝を終えて、今日のゴールである河和口駅に向かいます。
<嵐の海って感じ>
 海に近づくに従い、海からすごい音が聞こえてくるので、堤防の上に登ってみると、知多湾(三河湾)は大荒れでした。
 美浜町の海岸近くには、およそ半世紀前に建てられたカッパのコンクリート像が3体、点在しているそうです。臨海学校が盛んだった昭和30年代、カッパのように上手に泳げる子供になって欲しいとの願いを込めて、美浜町河和の海水浴場に建てられたそうですが、所有者は不明なのだとか。
<河和口駅前の花ちゃんです>
 3人?のカッパは家族で、野間地区にはお父さんカッパの野間太郎さんが、河和にはお母さんカッパのゆり子さんが、河和口には娘さんカッパの花ちゃんがいます。
 ゴールの河和口駅には11時少し前に到着しました。
<河和口駅です>
 河和口駅は急行停車駅ですので、普段は特急は停車しませんが、今日は、名鉄としては大量の巡拝者をさばくために、11:30〜15:00まで特急を臨時停車する手はずを整えておりました。
 でも、今はまだ、11時前です。でも、巡拝者は続々ゴールし、ホームに整列していきます。
 その時です。駅員が大きな地声で案内したのです。”今、電話して、次の特急も臨時停車するように言いましたんで、1両に扉が3つありますから、間にも並んでください”と・・・・。
 小生、驚くと同時に感心してしまいました。乗客思いの、臨機応変で、なんと柔軟な措置でしょう。これは、リスクを負わない役人には決して出来ないことです。民営化されたJR東海にはできるかな?
 名鉄のどなたが、特急を臨時停車させると即断したか小生には知るすべがありませんが、”お陰さま”で、座って、11:36に神宮前駅に戻ることができました。ありがとう!!

より大きな地図で 武豊町 を表示

                                             以上

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