<旅日記>
今日は、名鉄電車沿線ハイキング”情緒ある川原町の街並みとぎふ梅まつり”に参加しました。暖かくて絶好のウォーキング日和でしたよ。今日は、
Qちゃんに贈る この曲を聞きながらウォーキングしましょ。今日の写真は、逆光が多いです。
金山駅8:51発の快速急行に乗り、今日の出発駅である名古屋本線岐阜駅には9:29に到着しました。岐阜駅は、櫛形2面4線のホームで1〜4番線笠松 名鉄一宮 名鉄名古屋 豊橋方面(8両編成停車対応)、各務原線は櫛形1面2線のホームで5・6番線 三柿野 新鵜沼方面(6両編成停車対応)からなります。
改札を出るとそこは2階なので、階段を下りて、1階でウォーキングマップを受け取ります。駅前の地下道を通り、道路の反対側に渡ります。
<名鉄岐阜駅です> 玉宮町商店街を北上、駅から約1kmの金(こがね)神社に到着です。境内では、毎月9日恒例の骨董市が開催されていました。金運上昇をお願いして、先を急ぎます。
<金神社です> 裁判所を通り過ぎ、駅から約2km、美江寺観音に到着です。美江寺観音は、天台宗の寺で、かつては瑞穂市美江寺にありましたが、斎藤道三によって現在地に移したといわれています。3月第一日曜日には千数百年前から続く蚕祭りとも呼ばれる「美江寺まつり」が行われますが、残念ながら今日は第二日曜日です。本尊は、天平時代のものとされる乾漆十一面観音立像で、国の重要文化財に指定されています。
<美江寺観音です> さらに北上すると清流長良川にぶち当たります。長良川沿いを上流に向かって歩きます。金華橋南を過ぎ、さらに歩くと、通称”川原町”です。川原町というのは、湊町・玉井町・元浜町あたりのことを言います。
<川原町界隈です> ”いらん道路ばっかり作らんと、道路特定財源を使って、電線地中化したらええのに。”と思いながら歩いて行くと、長良橋のたもとにある鵜飼観覧船事務所が見えてきました。長良橋通りを渡り、鵜飼観覧船造船所を見学した後、岐阜公園に入ります。
<鵜飼観覧船造船所です> 日中友好庭園の横を過ぎ、ロープウェイ乗り場を過ぎ、南下していくと、山内一豊の妻千代を讃える石碑がありました。
<千代、一豊婚姻の地> さらに、公園内を歩いて行くと、今度は、板垣退助はんの銅像があります。そう、板垣退助は、明治15年(1882年)4月、岐阜で遊説中に暴漢・相原尚褧に襲われ負傷した(岐阜事件)んですね。その際、「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだそうです。これは事件の直後、小室信介というジャーナリストが岐阜で行った演説の題名「板垣死すとも自由は死せず」が、板垣自身の発言として世間に広まったものであるとも。これには異説もあり、当時板垣の秘書であった内藤魯一という人物が事件現場で叫んだとも言われる。実際に負傷直後に板垣が言った言葉は「痛い。医者を呼んでくれ。」だったとも言われる。なお、このとき板垣を診察した医師はのちの政治家後藤新平であった。
小生、中学の歴史の時間に、「痛い。医者を呼んでくれ」と言ったと習いました。短刀で刺されて、「板垣死すとも自由は死せず」なんてこと言っている場合ではないと。ごもっともです。
<E che sospiri la liberta!> 退助の銅像の隣には、信長居館跡(千畳敷御殿)があったんですが、みんな素通りしていくので、小生も中には入らず、先を急ぎます。
<織田信長居館跡>