さわやかウォーキングで、潮風香る鳥羽離島めぐり「九鬼水軍の魂が眠る答志島」に行って参りました。
2008.09.13 Saturday | category:旅日記
JUGEMテーマ:日記・一般
<旅日記>この3連休における名古屋地区主催のJR東海のさわやかウォーキングは、13日の”潮風香る鳥羽離島めぐり「九鬼水軍の魂が眠る答志島」(参宮線 鳥羽駅)” 、14日の”多賀国生みまいりウォーキング(近江鉄道 多賀大社前駅)” 、15日の”駅開業120周年記念 二川宿から吉田宿(豊橋)へ(東海道本線 二川駅)”の3本です。
二川駅へは昨秋行ったばかりなので、答志島か、多賀大社のどちらかにしようかと少し迷いました。が、多賀大社のウォーキングは毎年あるようなので、今回は、答志島をウォーキングすることにしました。
2日ほど前に風邪をひいたんですが、寝込むほどではなかったので出かけました。鶴舞駅で青空フリーパス おとな2500円を買い、名古屋駅に向かいました。
通勤列車なみに混雑した4両編成の快速みえ51号は、定刻どおり名古屋駅12番線を7:50に発車しました。列車は、関西本線の桑名、四日市と停まり、亀山には行かず途中の河原田駅から伊勢鉄道線に入り鈴鹿、津と停車しました。津からは紀勢本線を松坂、多気と南下し、多気からは全線単線非電化の参宮線にはいり、伊勢市、二見浦で停車した後、9:38に終点鳥羽駅に到着しました。
鳥羽駅は、三重県鳥羽市鳥羽一丁目8-13にある、東海旅客鉄道(JR東海)・近畿日本鉄道(近鉄)の駅です。JRは0〜2番線を使用し頭端式1面3線のホームがあます。ちなみに、近鉄は3〜6番線を使用し島式2面4線のホームを持つ橋上駅になっています。
<JR鳥羽駅です>JR鳥羽駅の改札を出たところで、今日のウォーキングマップを受け取り、隣の近鉄鳥羽駅の駅ビルの中を通り抜け、定期船のりばのある佐田浜港に向かいます。
佐田浜港では、定期船の往復運賃870円の切符を買い、乗船場近くで並びます。こんなに大勢のウォーカーで大混乱になるのではないかと思いましたが、切符売り場で多少混乱があった程度で、総定員334人の第25鳥羽丸にはスムーズに乗船でき、予定より早く10時頃出航しました。
<佐田浜港にとり残される人々>では、今日はこんな音楽を聴きながらクルージングとウォーキングをしましょ。
答志島は、三重県鳥羽市にある離島で、東西約6キロメートル、南北約1.5キロメートルです。鳥羽湾内では最大で、答志・和具地区と桃取地区の3集落があります。
<海上より佐田浜港方面を臨む>
答志島には、鳥羽市の無形民俗文化財に指定されている寝屋子制度が残っています。
<答志島桃取港です>
桃取港には、10:15に無事到着しました。島に来たのは、今年の竹島以来です。竹島は橋で渡れるので、船で渡った島は、何年前かは定かでありません(ブログ紀元前です)が篠島以来です。
<八幡神社です>
答志島は、世帯数745世帯、人口2,687人(男1,271人、女1,416人)の小さな島です。どこの家の玄関にも例の注連縄が飾ってあります。八幡神社を抜け、答志島スカイラインの緩やかな坂道を登って行きます。
<答志島スカイラインです>
島全体が静かです。蝉の声、時折すれ違う軽自動車やノーヘルで運転している原付バイク、中部空港方面へ向かう飛行機以外の音はありません。
<菅島方面の眺めです>
島の中央部にある給水塔を過ぎると下りになります。さらに、答志中学校前を通り過ぎ、しばらく行くと、再び海岸に出ました。
<サンシャインビーチです>
和具の集落を通り、答志集落へ向かう途中に、美多羅志神社があります。
<美多羅志神社の鳥居です>
創立年代は不祥ですが、享保4年の棟札や、延享3年献品の獅子一対、古文書などが保存されている由緒ある神社です。主祭神である美多羅志神は八王子諸神のことで、帯(たらし)一族に由来するといわれています。明治41年に天王社、山神社、天神社ほか10社ほどを合祀して、美多羅志神社となりました。
<竜の頭、分かります?>
参道には、竜の頭そっくりのシイの木があります。竜の頭にそっくりなのを見つけたのは、つい最近のことのようです。
<美多羅志神社です>
神社では、来週開催されるマンシングウェアレディース東海クラシックでの本多弥麗プロの健闘を祈念しました。
神社のすぐ隣が、潮音寺です。
<潮音寺の山門です>
潮音寺は、曹洞宗永平寺派の寺で、本尊の薬師瑠璃光如来座像は、行基の作であるといわれています。境内の観音堂に祀られている三体の聖観音木造立像(市有形文化財)は、平安時代から鎌倉初期にかけての作品で、三体揃って安置されているのは珍しく、平安、鎌倉、室町時代の仏像を一度に見ることができます。また、九鬼嘉隆が関ヶ原の戦いに敗れて追手を逃れて隠れた場所でもあり、この寺で得度したと伝えられています。
答志港から答志集落に入ると、迷路のような車も通れないほどの細い道を行きます。
<答志地区の迷路のような道です>
和具集落に戻り、九鬼嘉隆の胴塚に向かいます。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが起こると九鬼嘉隆は西軍に与し、子の守隆は東軍に与しました。9月15日の本戦で西軍が壊滅すると、嘉隆は鳥羽城を放棄して答志郡の答志島に逃亡しました。このとき、子の守隆は徳川家康と会見して父の助命を嘆願し、守隆の功績が大きかったために家康もこれを受け入れましたが、守隆は急使を出しそれを嘉隆に伝える直前、嘉隆は、10月12日に和具の洞仙庵(どうせんあん)で自害してしまいました。
守隆により胴体のみが洞仙庵近くに葬られ、胴塚が建てられました。首級は実検の後に答志島へ戻り、胴体とは別に築上(つかげ)山頂に葬られ、首塚が建てられました。現存する胴塚は守隆が建てたままではなく、寛文9年(1669年)に孫の九鬼隆季が再建したものです。
今日のウォーキングは胴塚までで、その先にある首塚には行きませんでした。で、和具港に引き返し、埠頭でそよ風に吹かれ、ファミマで買った弁当を食べながら、帰りの船を待ちました。
<和具港の埠頭です>
帰りの船は、総トン数56トンの第26鳥羽丸で、12:16に出航しました。和具港が次第に遠ざかります、島中央部の給水塔も海上から見えました。
<超気持ちいいっす>
帰りは行きよりも少し長く、約25分で佐田浜港に到着しました。
<佐田浜港です>
ゴールは、佐田浜港でなくJR鳥羽駅前でした。ゴールで、通常のスタンプとエコ歩°のスタンプを押してもらい、すでに停車していた快速みえ14号に乗り込みました。快速みえ14号は定刻どおり鳥羽駅を13:46に発車し、名古屋駅には15:40に到着しました。
今日は、心身ともにリフレッシュできた旅でした。JR運賃2500円と定期船運賃870円と格安なのもよかったです。
最後に、JR東海のCSO(Chief Sawayaka-walking Officer)殿には、来年は菅島か神島の旅を企画していただきたくお願い申し上げます。
大きな地図で見る
以上
<海上より佐田浜港方面を臨む> 答志島には、鳥羽市の無形民俗文化財に指定されている寝屋子制度が残っています。
<答志島桃取港です>桃取港には、10:15に無事到着しました。島に来たのは、今年の竹島以来です。竹島は橋で渡れるので、船で渡った島は、何年前かは定かでありません(ブログ紀元前です)が篠島以来です。
<八幡神社です>答志島は、世帯数745世帯、人口2,687人(男1,271人、女1,416人)の小さな島です。どこの家の玄関にも例の注連縄が飾ってあります。八幡神社を抜け、答志島スカイラインの緩やかな坂道を登って行きます。
<答志島スカイラインです>島全体が静かです。蝉の声、時折すれ違う軽自動車やノーヘルで運転している原付バイク、中部空港方面へ向かう飛行機以外の音はありません。
<菅島方面の眺めです>島の中央部にある給水塔を過ぎると下りになります。さらに、答志中学校前を通り過ぎ、しばらく行くと、再び海岸に出ました。
<サンシャインビーチです>和具の集落を通り、答志集落へ向かう途中に、美多羅志神社があります。
<美多羅志神社の鳥居です>創立年代は不祥ですが、享保4年の棟札や、延享3年献品の獅子一対、古文書などが保存されている由緒ある神社です。主祭神である美多羅志神は八王子諸神のことで、帯(たらし)一族に由来するといわれています。明治41年に天王社、山神社、天神社ほか10社ほどを合祀して、美多羅志神社となりました。
<竜の頭、分かります?>参道には、竜の頭そっくりのシイの木があります。竜の頭にそっくりなのを見つけたのは、つい最近のことのようです。
<美多羅志神社です>神社では、来週開催されるマンシングウェアレディース東海クラシックでの本多弥麗プロの健闘を祈念しました。
神社のすぐ隣が、潮音寺です。
<潮音寺の山門です>潮音寺は、曹洞宗永平寺派の寺で、本尊の薬師瑠璃光如来座像は、行基の作であるといわれています。境内の観音堂に祀られている三体の聖観音木造立像(市有形文化財)は、平安時代から鎌倉初期にかけての作品で、三体揃って安置されているのは珍しく、平安、鎌倉、室町時代の仏像を一度に見ることができます。また、九鬼嘉隆が関ヶ原の戦いに敗れて追手を逃れて隠れた場所でもあり、この寺で得度したと伝えられています。
答志港から答志集落に入ると、迷路のような車も通れないほどの細い道を行きます。
<答志地区の迷路のような道です>和具集落に戻り、九鬼嘉隆の胴塚に向かいます。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが起こると九鬼嘉隆は西軍に与し、子の守隆は東軍に与しました。9月15日の本戦で西軍が壊滅すると、嘉隆は鳥羽城を放棄して答志郡の答志島に逃亡しました。このとき、子の守隆は徳川家康と会見して父の助命を嘆願し、守隆の功績が大きかったために家康もこれを受け入れましたが、守隆は急使を出しそれを嘉隆に伝える直前、嘉隆は、10月12日に和具の洞仙庵(どうせんあん)で自害してしまいました。
守隆により胴体のみが洞仙庵近くに葬られ、胴塚が建てられました。首級は実検の後に答志島へ戻り、胴体とは別に築上(つかげ)山頂に葬られ、首塚が建てられました。現存する胴塚は守隆が建てたままではなく、寛文9年(1669年)に孫の九鬼隆季が再建したものです。
今日のウォーキングは胴塚までで、その先にある首塚には行きませんでした。で、和具港に引き返し、埠頭でそよ風に吹かれ、ファミマで買った弁当を食べながら、帰りの船を待ちました。
<和具港の埠頭です>帰りの船は、総トン数56トンの第26鳥羽丸で、12:16に出航しました。和具港が次第に遠ざかります、島中央部の給水塔も海上から見えました。
<超気持ちいいっす>帰りは行きよりも少し長く、約25分で佐田浜港に到着しました。
<佐田浜港です>ゴールは、佐田浜港でなくJR鳥羽駅前でした。ゴールで、通常のスタンプとエコ歩°のスタンプを押してもらい、すでに停車していた快速みえ14号に乗り込みました。快速みえ14号は定刻どおり鳥羽駅を13:46に発車し、名古屋駅には15:40に到着しました。
今日は、心身ともにリフレッシュできた旅でした。JR運賃2500円と定期船運賃870円と格安なのもよかったです。
最後に、JR東海のCSO(Chief Sawayaka-walking Officer)殿には、来年は菅島か神島の旅を企画していただきたくお願い申し上げます。
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以上





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