さわやかウォーキングで、勝川大弘法と春日井まつりに行って参りました。

  • 2008.10.18 Saturday
  • 18:54
<JUGEMテーマ:日記・一般
<旅日記>
 今週のウォーキングなんですが、JRも名鉄も近鉄も秋祭りと絡めたコースでどれもいまいちのような気がして、昨晩までどこに行こうか迷っていました。タイミングの悪いことに、今日明日とも天白図書館は年に1度の整理休館中なのでありまして、図書館で暇潰しすることもできないため、とにかく、ウォーキングには出かけることにしました。
 JR東海のさわやかウォーキングの”松尾山から眺望する天下分け目の関ヶ原合戦場 ”は歴史好きの小生には興味深いコースなんですが、昨年、同じコースを歩いているんで止めときました。明日、日曜日は、”駅開業120周年記念 おもてなし 蒲郡観光交流ウィーク”ってのがあるんですが、蒲郡は何度も行っているのでこれも止めときます。で、迷いに迷って行くことにしたのは、近場の”勝川大弘法と春日井まつり(中央本線 勝川駅)”でした。
 いつものように鶴舞駅では、青空フリーパス2500円を購入せず、勝川まで190円の乗車券を購入します。鶴舞駅9:31発の高蔵寺行普通列車に乗り、千種、大曽根、新守山の順に停車し、勝川駅には9:42に着きました。
<勝川駅です>
 勝川(かちがわ)駅は、愛知県春日井市松新町六丁目にある東海旅客鉄道(JR東海)・東海交通事業の駅です。1997年(平成9年)より駅周辺の連続立体交差高架化工事が行われており、2006年9月23日下り線が単式ホーム1面1線を有する高架線に切り替えられました。上り線は地平の仮線にあり、同様に単式ホーム1面1線です。上り線の高架線切り替えは、2009年の予定です。
 北口の改札を出て、パン屋の前を抜けたところでウォーキングマップを受け取ります。では、今日も音楽を聴きながらウォーキングしましょ。選曲の理由は特にないです。ただ、懐かしい曲のカバーです。 
 駅前公園を抜け、勝川駅前通商店街を歩きます。ほとんどの露店は準備に忙しそうです。
<勝川弘法市です>
 商店街を抜け、小さな路地を右折すると、高野山真言宗勝満山持明院崇彦寺があります。
 崇彦寺(しゅうげんじ)には、高さ18mの巨大な弘法大師(空海)様の像があります。
<おっちゃん、誰??>
 勝川大弘法は、昭和三年、当地の山口悦太郎氏が私財を投入して建立しました。高さ18メートルの修行姿のご尊像は、全国にも類がなく、毎日多数の老若男女が参拝し、一日中お線香の煙が絶えることがありません。
 「南無大師遍照金剛」と両手を合わせ、3回お唱えしてお祈りします。家内安全、商売繁盛、護国豊穣、何でもお願いをお聞き下さるとのことですので、小生は、本多弥麗プロが今年最後のステップアップツアー”IDECレディースカップ”でいい成績が残せますようにお願いしました。
 お参りの後は、県道201号に出て、八田川まで北上した後、八田川沿いのふれあい緑道を歩きます。
<水がきれいでした>
 ふれあい緑道は、名古屋市と境する庄内川から潮見坂平和公園までの全長約9kmのウォーキング&サイクリング道です。途中、朝宮公園、三又公園、落合公園があり、この公園間の緑道は緑が多くグリーンベルトとも呼ばれています。
 弘法大師(空海)は、今から約1200年の昔、奈良時代に現在の四国香川県善通寺市にお生まれになりました。俗名は、佐伯眞魚(さえき の まお)といいます。”マオ”ちゃんですね。
 空海が誕生したとされる6月15日は、中国密教の大成者である不空三蔵の入滅の日であり、空海が不空の生まれ変わりとする伝承を生みました。
<キバナコスモス??>
 延暦12年(793年)、大学での勉学に飽き足らず、19歳を過ぎた頃から山林での修行に入ったといいます。御蔵洞(高知県室戸市)で修行をしている時、口に明星が飛び込んできて悟りを開いたといわれています。その間、空海が目にしていたのは空と海だけであったため、空海と名乗ったとも言われています。
<朝宮公園近くです>
 空海は、延暦23年(804年)、正規の遣唐使の留学僧(留学期間20年の予定)として唐に渡ります。入唐直前まで一私度僧であった空海が突然留学僧として浮上する過程は、今日なお謎を残しています。遣唐使一行には、最澄や後に中国で三蔵法師の称号を贈られる霊仙がいました。最澄はこの時期すでに天皇の護持僧である内供奉十禅師の一人に任命されており、当時の仏教界に確固たる地位を築いていたが、空海はまったく無名の一沙門でした。
 三又公園あたりまで来たところで、市役所周辺で開催されている春日井まつり会場に向かいます。
<花屋さんです>
 まつり会場では、子供たちが様々な職業体験をしていました。
 大同元年(806年)10月、空海は無事帰国します。20年の留学期間を2年で切り上げ帰国したため、当時の規定ではそれは闕期の罪にあたるとされた。そのためかどうかは定かではありませんが、帰国後は、入京の許しを待って数年間太宰府に滞在することを余儀なくされました。
<左官屋さんです>
 最澄は空海より1年早く帰国したのですが、持ち帰った密教教義が不完全なものだったため、後に、空海より金剛界結縁伝法灌頂(こんごうかいけちえんでんぼうかんじょう)を受け密教を学ぶことになりました。そして、筆授により密教を極めようとした最澄は、密教の境地である『理趣釈経(りしゅしゃっきょう)』を借りようと空海に求めたのですが、密教における秘密荘厳の奥義を適正なる解釈を以て学ばずして、単にその訳経を借りることだけでは誤った解釈を招くと空海は判断したため貸すことを断わりました。それでも、最澄は弟子の泰範を空海のもとへ使わせ、『理趣釈経』を手に入れようとしたのですが、泰範は空海の弟子になってしまいます。このこで最澄と空海は決別することになります。
<くるまやさんです>
 空海は、816年、帝より高野山を賜り開祖に着手したり、821年5月,故郷四国讃岐の満濃池の修築にあたったりしました。
 まつり会場を後にし、鳥居松本通商店街にある市立郷土館に寄った後、春日井駅に向かいました。
<春日井駅前弘法大師像です>
 昭和2年12月 地元の請願駅として中央本線鳥居松駅(現在の春日井駅)が新設されると人々の間で駅前に新しいシンボルを造りたいという機運が盛り上がりました。そこで、鳥居松駅請願代表者の林長三郎氏が発起人となり、藤田磯吉氏が世話人となって地元の有志により、弘法大師立像の建立が計画されました。地元民の熱心な奉仕活動と他地域の篤志家の協力で工事が進み昭和7年4月に盛大な落慶法要が営まれたそうです。
 承和2年(835年)3月15日、空海は、高野山で弟子達に遺告を与え、3月21日に入定(にゅうじょう)しました。享年62(満60歳没)でした。空海が入定してから86年後の延喜21年(921年)に、弘法大師の諡号が醍醐天皇より贈られた。
 ゴールの春日井駅はもうすぐそこで、1分もかかりません。
<ゴールです>
 ゴールしたのは、12時20分頃だったと思います。そういえば、司馬遼太郎の”空海の風景”、いつか読もうと思いつつ、まだ読んでなかったことことを思い出しました。
 帰りも普通電車で鶴舞駅に向かいました。鶴舞駅からは、買い物のため、タチヤ八事店に寄りました。
<りんごを買いました>
 タチヤで買い物をした後は、福ちゃんには寄らず直帰しました。
                                        
大きな地図で見る          以上

スポンサーサイト

  • 2020.04.03 Friday
  • 18:54
  • 0
    • -
    • -
    • -
    コメント
    来週は、既に行くと決めているコースがあるので、是非、今日のような晴天であって欲しいと思っています。
    • ウォーレンさわかみ
    • 2008/10/19 6:07 AM
    おはようございます、わたしは他のコースに参加し、あたりのキーホルダーをいただきました。終了後は上坂商店で食事をして帰りました。
    そういえば、矢印看板は前日から用意されているみたいですね。
    来週も天候に恵まれるとうれしいですが・・・
    • たなか
    • 2008/10/19 2:09 AM
    コメントする








        
    この記事のトラックバックURL
    トラックバック

    PR

    calendar

    S M T W T F S
       1234
    567891011
    12131415161718
    19202122232425
    2627282930  
    << April 2020 >>

    閲覧者

    累計お客様数

    さわかみのつぶやき

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    recommend

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM