<旅日記>
今日11月23日の名古屋地区主催のJR東海のさわやかウォーキングは、”柏原宿と紅葉の徳源院を訪ねて(東海道本線 柏原駅)” ですが、このコースには、昨秋参加し、守屋武昌に据えるお灸を買って参りました。なので、今日は、先週から予定していたとおり、鳥羽のおいしいハイキング”絶景の菅島大山に登る”に参加することにしました。
いつものように、鶴舞駅で青空フリーパス おとな2500円を買い、名古屋駅に向かいました。4両編成の快速みえ51号は、発車10分前に12番線に入線し、7:50定刻どおり鳥羽駅に向けて発車しました。列車は、関西本線の桑名、四日市と停まり、亀山には行かず途中の河原田駅から伊勢鉄道線に入り鈴鹿、津と停車しました。津からは紀勢本線を松坂、多気と南下し、多気からは全線単線非電化の参宮線にはいり、伊勢市、二見浦で停車した後、9:38に終点鳥羽駅に到着しました。
鳥羽駅の構造は、前に何度か説明したと思うので、省略し、改札で青空フリーパスをチラッと駅員に見せた後、駅ビルの2階に上がり、近鉄鳥羽駅の改札の前を通り抜け、佐田浜港に向かいます。すでに、港には大勢の人々が列を作って、乗船を待っていました。整列する前に、スタンプを押してもらい、市営定期船代900円(往復)の支払い、切符代わりにブルーリボンを受け取ります。900円というのは、10円単位のおつりのやり取りを省略するために、正規料金より若干、お安くなっています。
今日は、第28鳥羽丸と約20ノット(時速約37km)で走行できるアルミ合金製双胴型船「きらめき」の2艘に分乗して菅島港に向かいます。
<佐田浜港の第28鳥羽丸です>では、今日も、こんな音楽を聴きながらクルージングとウォーキングをしましょ。
「きらめき」は、9:50頃、佐田浜港を出航し、約15分で菅島港に到着しました。
<「きらめき」から見た菅島港です>
菅島は、鳥羽港の東約3kmに位置し、標高236mの大山を中心に頂く、周囲13kmの島です。ちょっと古いですが、平成12年国勢調査では、 215世帯828人(男416人 女412人)が暮らしています。
港の近くの広場で、後から出航した第28鳥羽丸の到着を待って全員揃ったところで、今日のハイキングのオリエンテーションを行ない、全員でストレッチングをしました。
<腕を上に伸ばして>
ストレッチングの後、10:30頃、第二慰霊碑に向かって出発しました。途中、細い山道を一列になって登ります。
1983年(昭和58)4月19日、愛知県小牧基地から埼玉県入間基地に向かったC-1輸送機58-1009と68-1015の2機が濃霧による視界不良のため、菅島の山腹に相次いで墜落し、14 名の隊員が殉職しました。
<第二慰霊碑です>
第二慰霊碑の前で、茨の道を行き、大山の頂上を目指すグループと山頂には登らず歩きやすい道を行くグループに分かれます。小生は、山頂を目指しました。
<慰霊碑から大山山頂を臨む>
茨はありましたが、無事、標高237mの大山に登頂することができました。
<大山山頂です>
地元の人は、大山を”おやま”と言います。”おやま”は小山とも書けるわけで、紛らわしいです。
山頂には、三角点があるんですが、雑木林の中で視界が利きませんでした。でも、山頂からちょっと降りたところでは、絶景が広がっておりました。
<佐田港と答志島和具港方面>
伊勢湾方面を見ると、神島や渥美半島の伊良湖も見えました。大きな画像でどうぞ!
次は、第一慰霊碑に向かいます。1〜2月頃になると、山頂付近は、一面の紅ツゲが紅葉するそうです。
C-1中型輸送機は内部燃料タンクのみの場合、その航続距離は岐阜を中心として北海道・九州までであり、C-1の航続距離は他国の輸送機よりも極端に短く、沖縄県や訓練区域の硫黄島へ飛行する場合は増槽を必要とします。
<第一慰霊碑です>
C-1の能力不足は導入以前から指摘されており、自主防衛を掲げる中曽根康弘防衛庁長官の下で、ストレッチタイプとして大型輸送機、この大型輸送機を改造母機とした早期警戒機(AEW)や空中給油機が計画されました。しかし、中曽根長官と対立関係にあった防衛官僚海原治による露骨な妨害工作や、当時AEWとしてE-2を日本へ売り込んでいたグラマンによる国産機潰し、また社会党ら左派の反発を恐れた防衛庁内局によって実施されずに終わりました。
第一慰霊碑から坂手島方面を臨むと採石場が広がっており、対岸にはホテル鳥羽小涌園が見えました。
<採石場です>
ここで採れる蛇紋岩は新幹線の敷石などに使用されます。
12時も過ぎたので、菅島港にもどって昼食です。
<昼食風景です>
正面に答志島を眺めながら、菅島港でふるまいを頂きました。約1時間の休憩後、今度は島の北東部にあるしろんご浜に向かいます。
<しろんご浜です>
毎年7月11日に行われるしろんご祭りの会場となるこの浜は、一年を通じ禁漁区ですがこの日だけ漁が許されます。ホラ貝の合図で白い磯着を纏った島中の海女が、いっせいに雌雄一対の鮑「まねき鮑」を取りに海に潜ります。最初に「まねき鮑」を取った海女が合図し、これを白髭神社に奉納します。
浜から階段を登って行くと、白髭神社があります。
<白髭神社です>
白髭神社では、本多弥麗プロが、今週水曜日から始まる3rd QTを上位で通過できるようにお願いしました。
参拝後、近くの菅島灯台に向かいます。
<菅島灯台です>
菅島灯台は、「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計によるレンガ造灯台で、1873年(明治6)7月1日に点灯しました。竣工式には、西郷隆盛など当時の政府高官が多数列席しました。現存するレンガ造りの洋式灯台としては、日本最古のものといわれています。
灯台を見学した後、菅島港に戻りました。帰りの出航時間15:00まで、小1時間、港でつぶした後、臨時便の第28鳥羽丸で佐田浜港に向かいました。
<iPhoneは使いにくいワン>
船尾からは、先ほど登った大山を遠望することができました。
<さようなら菅島>
佐田浜港には15:15頃到着しました。港では、このハイキングの案内をしていただいたボランティアの方々が、”また来て下さい”と見送ってくれました。小生としては、”こちらこそ、また、お願いします。”と言いたかったです。ただただ、感謝です。
帰りの列車まで時間があったので、鳥羽バスセンターの隣のかっぱ寿司鳥羽店で株主優待券を使って食事した後、15:50発の快速みえ18号で名古屋へ向かいました。
島の旅社HP(http://shima-tabi.net/sugasima.html)より引用
以上
春の碧南市のコースの帰りに立ち寄ったときにはじめてみました。
家に帰って調べたら、岡崎公園の中にもちらほら手形がありまして、9月の2回目の訪問のときは、だいたいカバーしました。
あと、メインの伝馬町あたりにちらほらある石の彫刻や郷土館のレトロな建物、銀行の建物もそうですね。
また、銀行内の資料室にはお金がいっぱいで、見ごたえがありました。
それと、家康の館もおもしろかったですね。
自分でまわることも可能ですので、いつでもいいかも知れません。名鉄で動いたほうが、なんといったらよいか、効率的に思えますね。
わたしもほかのコースも考えています。
わたしのほうは、土曜日に宮の渡しのコースに参加し、東海道の6回のシリーズに全部参加することができました。
このラストコースに関しては、なじみあるところも少なくはなかったのですが、
笠寺と熱田と別々に訪問していましたので、頭の中でつながっていきました。
そういえば途中に たちや さんというスーパーがありました。
日曜日は朝宮公園周辺とグリーンベルトを散策し、アオキスーパーで買い物をして帰りました。本当は小牧駅まで自転車ででかけようと思ったのですが・・・
来週の27曲(岡崎)のコースは9月のスタート大会と似ていますね。見所がありますので検討中です。
どちらにしても天気がいいといいですが。





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