今日は、JR東海のさわやかウォーキング”今年の開運は『南宮大社』から”と名鉄の電車沿線ハイキング”新春祝う大高の酒蔵と名車佇む中京競馬場”がありました。小生、酒と馬には興味がないので、前者に参加しました。
いつものように中央線鶴舞駅で垂井駅までの切符(950円)を購入し、金山駅に向かいました。金山駅で東海道線に乗り換え、8:18発の大垣行き特別快速に乗ります。列車は、名古屋、尾張一宮、岐阜と濃尾平野を北上し、岐阜以降は各駅に停まり、大垣駅には8:54に着きました。
大垣駅の隣の垂井駅には、9:03発の臨時列車で向かい、9:10に到着しました。
<垂井駅です>垂井駅は、2面3線のホームを持ち、橋上駅舎を備える地上駅です。
東海道本線の南荒尾信号場〜垂井〜関ヶ原間は、一見すると普通の複線に見えますが、上り本線と「垂井線」と呼ばれる別線であり、下り本線は新垂井駅(廃止)経由の迂回線です。「垂井線」南荒尾信号場〜垂井間は下り専用で、垂井〜関ヶ原間は上下双方向に運転可能な単線となっており、下り普通列車はその垂井線を走行します。垂井線は特別な場合を除き普通列車のみが走行するため、垂井線の軌道は本線に比べて簡易な造りとなっており、最高運転速度も低い(85km/h)です。また、関ヶ原駅で折り返した列車は、その場で上り本線に折り返せないため、いったん垂井線を東方面に向かい垂井駅で上り本線に入ります。そのため垂井〜関ヶ原間は複線を逆走しているように見えるのです。まあ、そんなことはJR東海の社員でもほどんど知らない”トリビア”ですが。
ホームから階段を上り、改札をでるとウォーキングマップを配布していました。
では、昨日は講演会で暗い経済見通しばかり聞いたので、気持ちだけでも明るくなるように、こんな曲を聴きながら、みぞれがぱらつくなかをウォーキングしましょ。
垂井駅の近くを流れる相川に沿ってしばらく歩いた後、トステムの工場の横を過ぎると、目指す勝神社はもうすぐです。
<勝神社です>
勝神社は、武内宿禰(たけのうちすくね)に関係するといわれていますが、詳細はよく分かりません。本殿北には前方後円墳があります。周囲約30m、高さ約3mの古墳で、石室をつくった石材が残っています。
縁起が良い名前の神社なので、今日は、この神社で、本多弥麗プロが今年のステップアップツアーで優勝できますよう祈念いたしました。
”Que sera sera"の邦題は、”なるようになるさ”なんだけど、小生は、作詞家が意図したのは、”人事を尽くして天命を待つ” に近いことじゃないかと理解しています。
つぎは、すぐ近くの在原山薬師寺に向かいます。
<薬師寺境内です>
薬師寺は、六歌仙の1人、在原業平(825-880)が美濃権守(ごんのかみ)として、垂井町府中の国府に赴任し表佐のこの地に館を建立しました。880年、在原公は没し、陽成天皇の勅願により館跡に業平寺が創建され、業平公をお祭りしました。
つぎは、ご近所の阿弥陀寺に向かいます。
<阿弥陀寺の門前です>
阿弥陀寺は、連歌の巨匠飯尾宗祇(いいおそうぎ)が、連衆16名と共に句会を催したことから、千句の里と呼ばれるようになりました。阿弥陀寺27世の住職敬誉(けいよ)上人が表佐千句(別名、十花千句)などを残し、上人の墓がまつられています。
つぎも、ご近所の民家の敷地の中にある大関”鏡岩”の碑に向かいます。
<これは窮屈そうだ>
ウォーキングマップには、この碑の由来や大関鏡岩に関することが何も書いてありません。ネットで調べても何故、鏡岩の碑が、ここ垂井の民家の敷地の中にあるのか分かりませんでした。
つぎは、大嶺神社に向かいます。
<養老山脈です>
しばらく、薄っすら雪化粧した養老山脈を見ながら、西に向かって歩きます。
<大領神社です>
大領神社は、美濃国の二の宮で、祭神は宮勝木實(みやのすぐりのこのみ)です。
宮勝木實は、壬申の乱の際、大海人皇子(天武天皇)の命で、不破道(不破関付近)に出兵し、その功績により、不破郡の大領になったといいます。
大領神社からさらに東に500mぐらい行くと、いよいよ南宮大社です。
<南宮大社楼門と石輪橋です>
南宮大社は、金山彦命(かなやまひこのみこと)を主祭神に、旧国弊大社で美濃国一の宮として、また全国の鉱山、金属業の総本宮として、今も深い崇敬を集めています。
<南宮大社拝殿です>
社伝では、神武天皇即位の年の創建とされ、慶長5年(1600)の関ケ原合戦で社殿のすべてを焼失しました。寛永19年(1642)、3代将軍徳川家光が再建したといわれています。広い境内には、本殿・拝殿・楼門など、朱塗りの華麗な姿を並べ、江戸時代の神社建築の代表的な建築物15棟が、国の重要文化財に指定されています。
<関ヶ原はここから近いっす>
つぎは、清月院に向かいます。
<清月院の仏足石です>
清月院の境内には、お釈迦様の足の裏をかたどった珍しい仏足石があります。これも、由来は分かりません。
つぎは、隣松寺に向かいます。
<隣松寺境内です>
天徳山隣松寺は、清和源氏の始祖である「六孫王」源経基が、平将門の亡位を弔い、国家の安全を願うために七堂伽藍を建立し、天徳元年(957年)に開基しました。
つぎは、朝倉山真禅院に向かいます。
<真禅院参道です>
春は桜、秋は紅葉の名所となる西美濃33霊場の第17番札所が真禅院です。行基が創建し、南宮神社(今の南宮大社)の別当寺となったと伝えられています。南宮神社同様、関ケ原合戦の兵火により炎上。家光が再建し、明治初年の神仏分離令によって現在地に移されました。境内には、県下で最古の梵鐘、国指定重要文化財の本地堂や三重塔、北条政子の寄進と伝わる鉄塔があります。
<真禅院本地堂です>
古くから霊験があると言われ、平安時代の承平天慶の乱の際、朱雀天皇の勅令により平将門調伏祈願が行なわれました。また、前九年の役の際、後冷泉天皇の命により安倍貞任追討祈願がおこなわれました。
<真禅院三重塔です>
つぎは、以前、春に訪れたことがある垂井の泉と相川水辺公園を経て、垂井駅には、11:22頃到着しました。
ゴール受付では、花王のバブ(ラベンダー)1ケをいただきました。それから、エコ歩が20歩°貯まったので、MYボトル(保温容器です)をいただきました。
11:21に列車が出たばかりだったので、ホームで震えながら本を読んで時間を潰し、11:57の普通列車出で大垣に行き、大垣で新快速に乗り継ぎ、名古屋に向かいました。
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以上





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