リニモ早春ウォーキング「早春の岩崎城ウォーク」に行って参りました。
2009.03.01 Sunday | category:旅日記
JUGEMテーマ:日記・一般
<旅日記>JR東海の春のさわやかウォーキングはまだ始まっていません。春の名鉄の電車沿線ハイキングは、3月1日の”早春の香り漂う佐布里池梅まつりとパークロード”を皮切りに始まりましたが、佐布里池梅まつり は、昨年、行ったばかりなので、今日は、東部丘陵線連絡協議会主催のリニモ早春ウォーキング「早春の岩崎城ウォーク」に行って参りました。
小生、リニモに乗るのは今回が初めてです。リニモは、常電導吸引型 (HSST) による日本初の磁気浮上式鉄道(リニアモーターカー)の常設実用路線です。2005年に開催された愛知万博(愛・地球博)の会場アクセス路線として建設されました。名古屋市営地下鉄東山線と愛知環状鉄道線と連絡し、名古屋市内と東部丘陵地域を結んでいる路線ですが、万博閉幕後は赤字が続き、08年度決算で20億円の債務超過に陥るとのことです。名古屋市としては不要な路線であり、名古屋市の財政負担分は、長久手町に負担してもらいたいと思っています。河村さんよろしく。
藤が丘駅9:06発の八草行きの100形車両に乗りました。車両(電車といっていいんですかね?車輪ないしなあ)はしばらく地下を走った後、はなみずき通駅のホームの半ばで地表に出て停車しました。再び、走り出した車両は、杁ヶ池公園駅、長久手古戦場駅と停車し、芸大通駅には、9:15に到着しました。
芸大通駅は、愛知県愛知郡長久手町大字岩作にあり、トヨタ博物館に近いことから「トヨタ博物館前」とも表記されています。赤字なんだから、ネーミングライツをトヨタに売って稼げばいいのにと思いながら、改札を出て、階段を下りてくると、既に、数百人程度のウォーカーが二列に整列していますううう
。
<芸大通駅です>芸大通駅は、島式1面2線ホームを持つ高架駅で、普段は無人駅です。
9時30分を過ぎて、やっと、ウォーキングマップの配布が始まり、順次、出発していきます。
それでは、今日は、こんな曲を聴きながら、ウォーキングしましょ。
ウォーキングマップを受け取って、驚きました。いつものより紙質もよく、カラー印刷で、なおかつ、A4版ですうう。これは、JRや名鉄に比べ、かなり金がかかっていますううう。それも結局は、小生たちの税金なんですけどね。
しばらくは、名古屋瀬戸道路に沿って南下します。名古屋からそんなに離れているわけではありませんが、すっごく田舎に来た気分になれます。青空も現れ、清々しいですが、花粉が舞っているようで、くしゃみがとまりません。
<名古屋瀬戸道路です>
<岩崎川沿いも歩きます>
岩崎橋を渡ると、今日のコースのほぼ中央にある岩崎城址公園はもうすぐです。
<もっと大きな画像で見る>
岩崎城は、尾張国愛知郡(現在の愛知県日進市岩崎)にあった室町あるいは、戦国時代の平山城でした。正確な築城年代は不明ですが、もっとも古い記録によると尾張国勝幡城(現・愛知県愛西市)主・織田信秀(織田信長の父)の支城であったとあります。
<岩崎城歴史記念館です>
時代は下って、天正12年(1584年)に起きた岩崎城の戦いは、小牧・長久手の戦いのうち長久手の戦いの緒戦となった戦いです。秀吉、家康両軍の膠着状態を打ち破るため、秀吉方によって実行された「三河中入(なかいり)」作戦を阻止し、池田軍の進軍を止めたという点で大きな功績を残した戦いでした。この時の当主・丹羽氏次はこの戦いで弟の氏重を失いましたが、家康からの信頼を得て、その後の戦いにも多くの功績を挙げました。
<明治期の内裏雛です>
岩崎城歴史記念館の二階では、桃の節句にあわせて、岩崎城歴史記念館へ寄贈された明治から昭和にかけての雛人形を展示していました。
長久手の戦いの後、落城した岩崎城が再建されたかは確かではありませんが、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで丹羽氏次は徳川方として参戦、その功績を認められ三河国伊保(現在の愛知県豊田市)1万石の大名として栄転し、岩崎城はここで廃城となりました。
廃城後は3百年以上も整備されることは無く、本丸跡は畑となっていました。しかし、昭和62年(1987年)には、展望塔として五重構造の天守閣(模擬天守)が築城、「岩崎城址公園」として整備され、併設する岩崎城歴史記念館には岩崎城の歴史や城跡からの出土品などが展示されています。また、整備中に偶然発見された6世紀ごろの古墳の跡も公園内に展示されています。
公園内でマップにスタンプを押してもらった後、杁ヶ池(いりがいけ)公園に向います。
近くに、岩崎御嶽社や臥龍の松などがあるはずなんですが、コースには入っていないようです。
大学の建物を眺めながら、歩いて行くと、セントルイスにあるゲートウェイ・アーチを模したかのような愛知学院大学のゲートウェイ・アーチがありました。
<愛知学院大学です>
アーチの前の道を直進すると杁ヶ池公園です。
杁ヶ池公園は、元々は農業用の溜池でしたが、周辺が土地区画整理をされたのに伴い、南東部の一部を埋め立て、公園として整備されました。 池を一周する遊歩道には、桜が植えられています。
<杁ヶ池公園です>
公園内を通り、すぐ近くの名都美術館に向かいます。
名都美術館は私立美術館で、当初は昭和62年(1987)に名古屋市中区で開館しました。来館者に自然にめぐまれた、よりくつろげる空間で絵画とふれあっていただきたいとの願いから、現在の長久手町に移り、庭園のある日本建築の美術館を開館したのは平成4年(1992)のことです。
<別の角度から見る>
収蔵品は近現代の日本画が中心となっています。特に美人画のコレクションは「美人画の三巨匠」と呼ばれる上村松園、鏑木清方、伊東深水の作品が充実しており、美しく気品あるこれらの作品が観る者の心をなごませます。また、横山大観・川合玉堂から平山郁夫など、明治・大正・昭和・平成の日本画を代表する画家の作品を所蔵しており、近代以降の日本画のながれを概観することができます。
ほとんどの人は、入館せず、マップにスタンプを押してもらって素通りしていきます。ゴールのあるアピタ長久手店はもうそこです。
<アピタ内のゴールです>
ゴールではオリジナルピンバッジをもらいました。前回の大会では用意していた2000個のバッジが足りなかったそうで、今回は3000個を用意しているそうです。
アピタで買い物をした後、杁ヶ池公園駅から11:53発の車両で藤が丘駅に向かいました。
<これに乗りました>
JRや名鉄のウォーキングに比べ、途中の案内のスタッフがやたらと多かったように感じました。この人たち、ボランティア?それとも、超過勤務手当欲しさの職員?と考えながら、名古屋市内に向かいました。いずれにしても、見所が少な過ぎます。特に、社寺が含まれていないのはいけません。何故って、本多弥麗プロの必勝を祈願できないでしょ。ですから、今後も、JR東海のさわやかウォーキングと名鉄の電車沿線ハイキングに優先的に参加しようと思いました。
大きな地図で見る
以上
しばらくは、名古屋瀬戸道路に沿って南下します。名古屋からそんなに離れているわけではありませんが、すっごく田舎に来た気分になれます。青空も現れ、清々しいですが、花粉が舞っているようで、くしゃみがとまりません。
<名古屋瀬戸道路です>
<岩崎川沿いも歩きます>岩崎橋を渡ると、今日のコースのほぼ中央にある岩崎城址公園はもうすぐです。
<もっと大きな画像で見る>岩崎城は、尾張国愛知郡(現在の愛知県日進市岩崎)にあった室町あるいは、戦国時代の平山城でした。正確な築城年代は不明ですが、もっとも古い記録によると尾張国勝幡城(現・愛知県愛西市)主・織田信秀(織田信長の父)の支城であったとあります。
<岩崎城歴史記念館です>時代は下って、天正12年(1584年)に起きた岩崎城の戦いは、小牧・長久手の戦いのうち長久手の戦いの緒戦となった戦いです。秀吉、家康両軍の膠着状態を打ち破るため、秀吉方によって実行された「三河中入(なかいり)」作戦を阻止し、池田軍の進軍を止めたという点で大きな功績を残した戦いでした。この時の当主・丹羽氏次はこの戦いで弟の氏重を失いましたが、家康からの信頼を得て、その後の戦いにも多くの功績を挙げました。
<明治期の内裏雛です>岩崎城歴史記念館の二階では、桃の節句にあわせて、岩崎城歴史記念館へ寄贈された明治から昭和にかけての雛人形を展示していました。
長久手の戦いの後、落城した岩崎城が再建されたかは確かではありませんが、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで丹羽氏次は徳川方として参戦、その功績を認められ三河国伊保(現在の愛知県豊田市)1万石の大名として栄転し、岩崎城はここで廃城となりました。
廃城後は3百年以上も整備されることは無く、本丸跡は畑となっていました。しかし、昭和62年(1987年)には、展望塔として五重構造の天守閣(模擬天守)が築城、「岩崎城址公園」として整備され、併設する岩崎城歴史記念館には岩崎城の歴史や城跡からの出土品などが展示されています。また、整備中に偶然発見された6世紀ごろの古墳の跡も公園内に展示されています。
公園内でマップにスタンプを押してもらった後、杁ヶ池(いりがいけ)公園に向います。
近くに、岩崎御嶽社や臥龍の松などがあるはずなんですが、コースには入っていないようです。
大学の建物を眺めながら、歩いて行くと、セントルイスにあるゲートウェイ・アーチを模したかのような愛知学院大学のゲートウェイ・アーチがありました。
<愛知学院大学です>アーチの前の道を直進すると杁ヶ池公園です。
杁ヶ池公園は、元々は農業用の溜池でしたが、周辺が土地区画整理をされたのに伴い、南東部の一部を埋め立て、公園として整備されました。 池を一周する遊歩道には、桜が植えられています。
<杁ヶ池公園です>公園内を通り、すぐ近くの名都美術館に向かいます。
名都美術館は私立美術館で、当初は昭和62年(1987)に名古屋市中区で開館しました。来館者に自然にめぐまれた、よりくつろげる空間で絵画とふれあっていただきたいとの願いから、現在の長久手町に移り、庭園のある日本建築の美術館を開館したのは平成4年(1992)のことです。
<別の角度から見る>収蔵品は近現代の日本画が中心となっています。特に美人画のコレクションは「美人画の三巨匠」と呼ばれる上村松園、鏑木清方、伊東深水の作品が充実しており、美しく気品あるこれらの作品が観る者の心をなごませます。また、横山大観・川合玉堂から平山郁夫など、明治・大正・昭和・平成の日本画を代表する画家の作品を所蔵しており、近代以降の日本画のながれを概観することができます。
ほとんどの人は、入館せず、マップにスタンプを押してもらって素通りしていきます。ゴールのあるアピタ長久手店はもうそこです。
<アピタ内のゴールです>ゴールではオリジナルピンバッジをもらいました。前回の大会では用意していた2000個のバッジが足りなかったそうで、今回は3000個を用意しているそうです。
アピタで買い物をした後、杁ヶ池公園駅から11:53発の車両で藤が丘駅に向かいました。
<これに乗りました>JRや名鉄のウォーキングに比べ、途中の案内のスタッフがやたらと多かったように感じました。この人たち、ボランティア?それとも、超過勤務手当欲しさの職員?と考えながら、名古屋市内に向かいました。いずれにしても、見所が少な過ぎます。特に、社寺が含まれていないのはいけません。何故って、本多弥麗プロの必勝を祈願できないでしょ。ですから、今後も、JR東海のさわやかウォーキングと名鉄の電車沿線ハイキングに優先的に参加しようと思いました。
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以上





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